『死にたがりAのラメント 九 〜新しいマイネーム〜』
作:緑野仁

「少女警察さまっ」
「……梨香さん、その呼び方はやめてほしな……」
 顔を赤くしながら少女が言う。目の前には爛々と目を輝かせる梨香がいた。

 あの後、学校は騒然とした。それもそうだ、学校一の美少女がよりによって教員から性的暴力を受けていたのだから、学校もこの問題の対応に頭を悩ませている。

 そんなこんなでその日の学校は教員会議で授業どころではなくなってしまった。あまり事情を把握出来ていない他の生徒達にとってはまさに棚からぼた餅だろう。

「あの、じゃあ何と呼べば……」
「普通に名前で呼んでくれれば……」
「では名前をお聞かせください」
「名乗る程の者ではないので……」
「矛盾していませんか?」
「うーん……」
 実際、少女自身も困っていた。ここで彼女に名前を教えれば自殺を考える自分には更に足枷になってしまう。
 というより今日の一連の行為はどちらかというと死にたがりのする事とは対極だ。自分でもどうして急にあんなことをしたのか良くわかっていなかった。

「でも困りました……あだ名でもあれば良かったのですが」

「おーい、死にたがりちゃーん!」
 突然聞こえた声に少女はビクリと反応する。梨香も驚いて声のした方を見た。

「今日は学校早かったね。まあ一連の流れは見てたけど」
「あの、貴方は……」
 いきなり目の前に走ってきた不審な男に梨香がいぶかしげに訊ねる。

「俺ですか? 俺は死にたがりさんの仲間の……」
「仲間? ということは少女警察の……」
「はい。特殊少女保護警察警視、神立 正実です」
 正実がペラペラと胡散臭い嘘を口にする。それを聞いて梨香は納得したようだった。

「ああ、やはりそうですか。……ところであの、死にたがりというのは……」
「ん? ビルの屋上から死にたがってたから死にたがりさん」
 正実は言いにくい事をあっさりと口にした。少女は最大級の殺意で正実を睨む。
 するとそんな少女に向かって梨香が全力で言い寄ってきた。目からは大粒の涙がこぼれそうになっている。

「駄目です、そんな! 命は一つしかないんですよ!?」
「うん、わかったっ! わかったからっ!」
 少女は必死で振りほどこうとする。

「私は、あんな最悪な人に何をされても死のうとは思いませんでした。だってそこで死んだらあの人に負けたことになっちゃうじゃないですか。だから、死なないでください」
 それを聞いて少女は何も言い返せなかった。今の自分よりももっと絶望に満ち溢れた世界でも彼女は生きようとしていたのだ。それに比べて、自分はどうなのか。現実から逃げようとはしていなかったか。

「わかった、約束するから! 絶対死なないから!」
「本当ですか!? じゃああだ名も変えないと……」
 梨香が正実を見た。

「んー……じゃあ、生きたがりとか」
「却下」
「死にたくながりとか?」
「NG」
「生きたくなくながりとか……」
「不可」
「もうめんどくさいから死にたがりで駄目?」
「駄目ですよ。だって死にたくないんですから」
「んー……紗英華ちゃんも考えてよ」
 困った正実は通信機の先の紗英華に託した。その様子を見て梨香が再び訊ねる。

「紗英華さんというのは……」
「少女警察のメンバーの一人」
「ああ、なるほど」
 納得する梨香を尻目に、正実は一人でうんうんと頷いていた。そして口を開く。


「今紗英華ちゃんに聞いてみたんだけどさ」

「はい」



「命(みこと)っていうのはどう?」


「みこと?」
「そう。命って書いてみこと」
「……」
 少女は笑った。まるで自分とは逆の名前を付けられてしまったものだ。脱け殻のように空虚な自分がそんな輝くような名前をもらうのも皮肉である。
 しかしそれは逆に新たな誕生にも思えた。命という新たな人が、今この瞬間に生まれたのだ。今までの自分は死に、そして今ここには命しかいない。

「……良いですね」
「でもあだ名にしてはそれっぽすぎやしない? 他の人に本名が命って思われちゃうかも」少し不安がる正実に少女、もとい命は微笑んで応える。

「良いんです、これで。私はこれから、命です」
「ふむ……死にたがりさん卒業だね」
「昔の私は死にましたから」
 命は胸を張って応えた。その様子を見て梨香が涙を流し始める。

「命さん、素敵です! 結婚してください!」
「いや、それは色々と無理が……」
「そうだよ、梨香さん。というわけで俺と……」
「お前は黙れ」
 命がきっぱりと言った。


「そういえば愛子ちゃん知らない? 助けてもらったし、お礼言いたいんだけど……」
「あれ? そういえばいませんね。確か帰り道はこっちの方のはずですけど」
「そっか、残念。……ところで梨香さん、敬語は止めてくれないかな? 何か話しにくくて……」
「そうは言われましても、命を救っていただいた方にため口を使うわけには……」
「うーん……じゃあとりあえず、梨香って呼んで良い? そっちのがまだ話しやすいかも」
「はい、喜んで! 私たち友達ですもんね」
「……うん」
 今まで聞き慣れなかった言葉に命は喜びを覚えていた。友達という特別な間柄。それはきっと「命」になって許された権利なのだろう。

「そうだね、俺たち友達だもんね」
「いいえ」
 割り込んできた正実に命がきっぱり言い放った。

「酷いっ! 助けてあげたのに!」
「それは今までの私であって命ではありません。というか貴方誰ですか?」
 後ろで何かわめく正実を放置して命と梨香はとっとと歩き出す。

 ふと命の足が止まった。梨香が不思議がる。

「……?」
「どうかしました?」
「いや……何でもない。じゃあね」
「はい。また明日」
 そう言って命は手を振った。

「待ってよ命ちゃーん」
「貴方誰ですか?」
「まだ引っ張るの!?」
「不審なので半径3メートルに近づかないでください」
「妙にリアルだね……」
 項垂れる正実を放置して命は歩く。


″『命』の調子はどうだ? 正実″

 通信機から聞こえてきた紗英華の声に正実は悲しそうに言う。

「構ってくれなくて寂しい……」

″知るかバカ。……『足枷』は効いたようだな″

「うん。彼女はもう死にたがったりしないさ」

″ああ。……アイツは何もわかっちゃいないからな″

 言いながら紗英華はあの夜のことを思い出す。

″アイツは、自分のことが何一つわかっちゃいない。アイツは……本当は、人一倍正義感が強くて誰よりも強い奴なのさ。死にたがりなんてアイツには似合わないよ″

 紗英華が嬉しそうに言った。

″でもお前、ネーミングセンスだけは良いよな。『命』って結構気に入ってるよ″

「地味に酷いよ紗英華ちゃん」
 正実が苦笑いしながら言う。

「それにしても紗英華ちゃん、やけにあの娘に懇意だね。好きなの?」

″アホかっ。ただ単に勿体ないと思っただけだよ″

「ふーん。……ところで紗英華ちゃん。質問なんだけど」

″どうした?″

 紗英華が不思議そうに訊ねる。

「命ちゃん、何処に行っちゃった?」
 正実があっさり言った。紗英華はしばし呆然とする。

″……ばっ、バカ野郎! どうして見てなかった!?″

「いやぁ、紗英華ちゃんいるから大丈夫かと。わかる?」

″くそっ、私としたことが……!″

 紗英華が悔しそうに言ってから何処かに連絡する。

″おい、美里! 頼み事がある!″




 とある会社のオフィスで、電話の音が響く。それを真っ赤な着物を着た女性が取った。

「はい、こちら鉄血人間結社。……はい? ……わかりました」
 椿はその電話の奥の声に不安を覚える。そのまま子機を持って立ち去っていった。

「……社長。お電話です」
 一際目立つ椅子の前で椿は立ち止まった。そして目の前の人に告げる。

 椿の目前には、一人の女性が座っていた。女性の身なりは30代前半だろうが、キチンと着こなしたスーツがそれより若い印象を持たせる。顔だちは金属のように冷ややかな表情で、目は無機質な印象を覚えさせる。

「なに? 今プラモ作りで忙しいんだけど」
 そう言う彼女の手元にはプラスチックの部品が散らばっていた。椿がため息をつく。

「お取り継ぎください、鉄乃(くろの)社長」
「はいはい。全く」
 不機嫌そうに鉄乃は電話を受け取って話し始めた。

「誰ー? ……あん? ああ、アンタね。改造してからの調子はどう? ……まだ試してない? 勿体ないわねぇ。ん? ……ああ、なるほど。今から使うのね。はいはい。んじゃ楽しみにしてるわ」
 少し話してから鉄乃は電話を切って椿に返した。
 すると突然鉄乃が笑い出した。

「どのようなご用件でしたか?」
「いや、こりゃ面白いわ。プラモ作ってる場合じゃないっての」
 そう言って鉄乃は机の上のプラスチックを手で救って握り潰した。手を開くとほとんど粉しか残っていない。

「アイツのところに電話しなさい。……えーと、何て言ったっけか」
 必死で思いだそうとする鉄乃を見ながら、椿は冷静に言った。

「ヒューマン・リモデリング・カンパニーですか?」
「そうそれ」
 返事を聞いてから椿は電話のボタンを押し始めた。その間も鉄乃は笑っている。


「面白いことになるわよ」
 鉄乃がポツリと呟いた。


八.伍 〜赤色のマスタマインド〜<<
>>拾 〜改造とミステイク〜