『十神十色 生死編T ―死の神―』
作:璃歌音


*1

 太一が目を開けると、そこは闇だった。
 天井も床も壁もない。上も下も右も左もない。どこまでも、闇。いつまでも、闇。
 太一は、なにもない闇に転がっていた。目を開けると……と言っても、実際は目を開けているのかどうかさえ定かではないのだが。
 なにもない闇の中だというのに、太一は不思議と恐怖とかそういった感情を抱かなかった。なぜだかはわからないが、その場所は妙に安心できるところでもあった。
「しかしまた、古くさーい、漫画みたいな死に方するんだね」
 いくら安心できる場所からといって、暗闇の中で頭上から突然降ってくる声には驚かないはずがない。
「あ、驚かせちゃってごめんね」
 そう言いながら降りてきたのは、全身真っ黒の服に身を包んだ、太一と同じくらいの歳の少年だった。
 ――降りてきた?
 そう、その少年は、まるで無重力空間にいるかのように、ふわふわと浮かびながら太一の前にやってきたのだ。太一は、なにも見えないところにしっかり足を着けて立っているというのに、だ。こんな不条理なことがあっていいものだろうか、そんなことを思う。
「ああ、そう。不条理、ね。面白いね。それじゃあ、キミに合わせようか」
 突然、少年が言う。何の話かと思ったときには、少年は太一と同じように地に足を着けて立っていた。
「こんにちは。ボクは神様です」
「……神様?」
 太一は予想もしていなかった言葉が少年の口から出たことに驚き、思わずオウムのように聞き返してしまった。
「うん。正確に言うと『死の神』だけどね」
「『死の神』……? ということは、オレは死んだのか?」
「あれ、なかなか察しがいいね」
「まぁ、あんな記憶があるから」
 太一の脳裏には、突っ込んでくる車のきつい赤い色が未だに焼きついている。
「もういっかい『あれ』だ。死ぬときの記憶があるの? 珍しいね」
「ところで、ここはどこだ? 天国とか地獄とかそういうのなのか?」
 太一は、我ながら死んだ直後にしては冷静なものだ、と思う。まあ、実感が湧いていない、というのが本音だったのだが。
「うーん。どっちも正解、かな」
「どっちも?」
 またも不可解な答えを返す少年、もとい、自称「死の神」に太一が訝しげな声を投げると、彼は太一の周りをぐるぐると回りながら話し出す。自称「死の神」とやらは、妙に芝居がかった言動をするらしい。
「やっぱり、どっちも不正解。ここは天国と地獄のちょうど間にあるトコロなんだ。死んじゃった人たちは天国に行くか、あるいは地獄に行くか、どっちにしろまずココを通っていくんだよね」
 それにしては、人が少ない、と太一は相変わらず冷静にものを考える。太一は(物騒な話だが)一分一秒という単位で、世界中で人が続々と死んでいっているのかと思っていたのだ。
「うん、もちろんその通りだよ」
 どうも、この自称「死の神」は、人の心が読めるらしい。そう気付いた太一は少し不安を感じたが、しかし同時に、神なら当たり前といえば当たり前か、などとのんびりとした感情も抱いてしまう。
「それもその通り、だね。でも、その自称『死の神』ってのはやめてほしいな。バチが当たるよ? いくら『死の神』でも神様は神様なんだからさ」
「それは、失礼しました」
 なんとなく素直に謝ってみる。
「そうそう、どんどん人が死んでるってのはホントでさ、今も順番待ちしてる人がいっぱいいるから、急がないといけないんだよね」
「オレはどっちに行くんですか?」
「敬語なんか使わないでよ、気持ち悪いから。ボクはみんなの『死の神』だよ?」
 神に「みんなの」も何もないだろう、そう太一はわりと強めに思い浮かべてみたが「死の神」からのコメントは何も得られなかった。
「それでね、キミの進路なんだけど」
 まるで中学校の進路相談だ。
「もう誰が見ても天国行き。誰かを命を懸けて助けるっていうのは、一番天国に近い死に方のひとつなんだな……」
「それなら、オレをさっさと天国に送って、次の人にいったほうがいいんじゃ……?」
「死んでもなお、他人想いだね、キミは。……それが、そうもいかないんだよね」「死の神」は苦笑しながら言う。
「……というと?」
「簡単に言うと、天国は今、定員オーバーなの。だから天国に行かせるわけにいかない。これ以上天国に人が入ると、ひょっとしたら地獄より辛い状態になってしまう。」
 そんな朝の満員電車みたいな話があるのか。
「うん、良い例えだね。天国は既に乗車率百二十パーセント」
「それじゃあ、地獄行きってことか?」
「これまたそうもいかない。言ったじゃん、人を助けたら百パー天国行きなんだってば」
「じゃあ、どうするんだ」
「はい。それが問題なのです」
「……」
「……」
「え、このまま黙って待ってるのか?」
「うーん。待ってて天国から命がひとつでも新しく生まれでてくれれば、ガキ一人くらい入れられるんだけどなー」
 ガキ呼ばわりにむっとしながらも、太一は「死の神」の話を進めるために合いの手を入れる。
「それが、そうもいかない……?」
「あはは。盗られちゃったよ」
「どうして新しい命が生まれないんだ?」
「知らない。だってボク『死の神』だもん。『生』については管轄外さ。存じ上げません、記憶に御座いませんーっと」
 まったく、困ったことになったものだ。寿命を大幅に短縮してしまうどころか、死後の行き場もないとは。太一が途方に暮れていると、「死の神」が妙なアイデアを出した。
「そうだなぁ……。しばらくボクのお手伝いさんやってみない?」
「お手伝いさん?」
 仮にも「死」を司る神の口から、あまりにものんびりした言葉が飛び出してきたことに、太一は思わず戸惑う。
「キミを地獄に行かせるわけにいかないし。かといって、天国はというと通勤ラッシュだし」
 別にどこかに働きにいくわけではないと思うが。
「というわけで。天国に空きが出るまで、しばらくここに居てよってこと」
 太一は、ここに居るなのは一時的なことで、長い間は居られない場所なのだと勝手に思っていた。死者は、速やかに天国か地獄に送られるべきなのだ、と。
「別にそんなことはないよ。まあ、こんな真っ暗でなーんにもないトコ、誰もずっとなんか居たがらない。というか、ココにずっと居るなんて選択肢がハナから無いみたいだし」
 それは、誰だってそう思い込んでしまうだろう。太一とて、この「死の神」に提示されなければ、そんな選択肢は頭に浮かぶことはなかった。
「どう?」
「あ、別にいいけど。どうせ行き場もないんだろうし、死んじゃったらどうせやることもなくて暇だし」
「いいね、そういう感じ。『死の神』のお気に召しましたよ。それじゃ、しばらくよろしくお願いします」
「あ、いや、こちらこそよろしく」
「それでは次のお客さんでーす」
 そう言って歩き出した「死の神」は、なんとなく嬉しそうに見えた。長い間、こんな場所に一人で居たから、いくら神でも淋しくないということはなかったのだろうか。
「バカなこと言わないでよ。ボクは神様だよ?」
「言ってはいない」
「それは失礼しました」



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