『Oblivion Tale 〜第一話 拾い物〜』*6
作:kousaka−saguru


ここは?
どこかで見た気がする。そんな心境のままその場に立っていると、遠くから声が聞こえたような気がした。
まるで大きな声で私を呼んでいるような。そんなしゃがれた声。
何だろう?
久し振りかも知れない。……記憶にある中だと最低でも二年は前……何にも知らなかった頃の私が見ていたみたいな……淡い優しい気持ちになる。

「……」

でも……私は……。
手を伸ばそうとして止めた。どうせ届かないんだから。望みにも、何もかもに。




「……精神的なショック状態でしょう。まぁ、取り敢えず、何も無ければ今日中には目を覚ますでしょうが、戸籍が無いので、誰に治療費を」

「それはオレが払う。すまないな、少々無理を言った」

「そうですね……今時戸籍が無い方とは思いませんでした。それにしても、この患者、不思議ですね。こんな少女なのに、しっかり訓練を積んだ軍人……いえ、それよりは隠密に近い筋肉のつき方です。それに……寝ている吐息も音が立っていないですし」

彼はそう言われ初めて彼女の呼吸にまで注意を払う。すると、確かに静かだと思うが、それだけではどこも不思議には思わなかった。しかし、彼女の行動を考えると、医者の言うことも納得できるものだった。

「……まぁ、深い詮索は今やっても仕方ないだろう。取り敢えずオレが保護者の形で頼むぞ」

「わかってますよ。なら、病室で待っていてください。起きた時に安心してもらえるかもしれませんよ、お父さん」

「……」

彼はそれを聞いて苦笑いで病室に入った。彼女の着ていた血の付いた衣服は取り替えられ、病院特有の清潔感の溢れる患者用の物になっている。
それこそかなり疑われたのだが、彼は既に飾りとなったその地位を利用して彼女に対しては不問にしていた。

「……お前は誰だ?」

何となくだろう。彼はそんなことを呟きながらこの後どうするかを考える。
記憶喪失。その中でも例外的に一部のみを忘れているのだ。ストレスのせいではないか?
そんな考えは幾度と無く頭を過り、そして、少女の表情を見ていて彼自身に思う事もあった。
どこか自分に似ているのではないかという直感にも似た何かが。

「……」

娘がいたとしたらこんな感じだろうか?
ルーカはぼんやりと天井の蛍光灯を見つめながらそんな事を思っていた。





その日の夕刻。ルーカがいつの間にか居眠りしていた頃、病室のベッドから彼女は起き上がり外を見つめていた。どこか懐かしい気のするその景色に、彼女は首を傾げながらも目を離せなかった。

「……」

オレンジに染まる夕焼け空は梅雨の晴れ間の一時を切り取り、まだ微かに暖かい熱を地上に送っている。

「…………」

少女の手には力が入り、徐々にシーツにクシャリとしわが入っていき、顔を俯けた。

「………………やっぱり、期待したらダメですよね。……ありがとうございました」

まだ寝ている彼にそう呟いてひっそりと立ち上がり、窓を開けた。高い建物の少ない街、その中では格段に高いであろう場所、そこの七階。
窓が開いた瞬間に風が吹き込み、ルーカはその変化に気付いて目を開け驚いた。
「あっ、起こしてしまいましたね。……ルーカさん、仕事の話、無しで……お願いします」

今にも飛び降りようとするように彼女は窓枠に手を掛けて笑っていた。困ったような泣いてるような。そんな笑顔で。

「……そうか」

「止めないんですね」

「まぁ……すまないがもう手は打ったよ。飛び降りてもちょっとケガをするくらいだ」

そう言われて少女は下を見る。そこには確かに二段程度に重なった巨大なマットがあった。これでは余程酷い落ち方をしても死ぬ可能性は低い、仮に逃げるつもりでも足を取られて逃げられるものでは無かった。

「ははっ……手を打つの早すぎですよ」

とても飛び降りても利点が無さ過ぎる現実に少女は力が抜けて諦めてしまった。

「聞きたいことも色々あったからな。終わるまでは取り敢えず逃げないで貰えるかな?」

「……」

ルーカの準備に彼女はひたすら苦笑いを零すより仕方なかった。
自分程度じゃどうしようもないのではないかと疑っているくらいには自信を無くしているが、彼は気付かない。

「あんまり時間は取らせない……たぶんとしか言いようはないんだがな」

「なら……早くしてもらえますか?」

「そうだな。まずは記憶から。お前は自分の名前が思い出せないんだな?」

「はい」

「それ以外は?」

彼女は少しだけ思案する。よく考えると時間感覚が完全にとち狂っていることに気付いた。

「すいません、今、何日ですか?」

「六月……二十日だな」

そこから逆算すると、十日近く記憶が無い事に気付いてしまう。

「ここに来る前の十日です」

「そうか、なら次。節見市と言う場所の地図とこの場所の地図が同じと」

「はい」

「ふむ……じゃあ、誰か知り合いは?」

「貴方とあのバーテンさんくらいです…………いったい何が聞きたいんですか。私は……貴方と関係は無いんですよ」

ルーカの質問に嫌気がさしたのか、彼女はイライラし、語気がが荒くなる。

「そうだな」

しかし、彼はそれを至極当然に、冷静に頷くだけ。彼女が怒りを堪えきれないのも仕方がないことだった。

「ならっ…………貴…………すいません、取り乱しました」

彼女は途中まで叫びかけた言葉を噛み締めて我慢する。それを見てルーカは楽しげに笑う。それは正に神経を逆撫でするように。

「…………」

すると、少女の表情が消えた。

「ふざけないでください…………私は……っ…………」

しかし、それでも我慢し続けようとする彼女に追い討ちをかけるように、次に彼は彼女を大声で笑った。
もちろん嘲笑で。

「……」

これにはさすがに彼女も耐えかねたのだろう。
顔の端が引きつり、少女に不釣り合いな苦笑いは、その身体に纏う威圧感は常人ならば逃げてもおかしくない。

「私は……貴方に迷惑をかけまいと…………耐えてましたけど……ね」

そこでルーカは微かに、彼女にわからないように心の中で笑う。

「さすがにもう無理ですよ? ふざけないでください。記憶が無いし知らない場所だし、お前なんかに付き合って時間を潰すくらいなら探したいんだ、どけっ、さもないと…………殺す」

完全に怒りが頭の隅にまで浸透し、彼女の口調は酷く雑になり、怒りの表情のままルーカを睨んでいた。
しかし、その瞬間、ルーカは微笑み、彼女はその怒りの気を削がれる。その微笑みには嘘や偽りの感情がまるで感じられない笑みだったのだ。

「よかった。お前にもしっかり子供みたいなとこがあるんだな」

「何がっ……」

「すまんな。少しお前がどういう奴か気になっただけだ。気を悪くさせたのは謝る。本当にすまん。ただな……なんだ、オレは暇なんだ。よければお前が何か手立てを見つけるまでは家で養ってもいいのだが……一応戸籍と保護者として書ける人間がいる方が何かと便利だろ」

「えっ……はい?」

また、次々襲い掛かる理解不能な波状攻撃に少女の脳は悲鳴を上げる。少々認識するのを放棄したい気持ちだった。

「まぁ、嫌なら無理強いはしたくないが……お前がいた場所がどんな場所かよく知らないが、どうにも軍なんて物があるせいか、身分が重要でな、今日も正直危なかった。お前が戸籍を持っていても、お前の名前をオレは知らないしな。無理やりオレが保護者の体でやらせて貰ったが……まぁ、一日くらい悩んで見てくれ。明日も来るから。因みにだが、逃げるのは無駄だぞ」

そこまで言うと、彼は何事も無かったかのように病室を出ていってしまい、彼女は一人取り残されてしまった。

「…………なんですかあれは」

まだ煮え切らない気持ちが心の奥で燻り、少女は少しだけ頬を膨らませると、強く息を吐き出した。

「まぁ…………」

そう呟くと少し顔が赤らんだ。

「悪い人じゃないかも知れない」

その後、様子を見にきた看護師に色々質問をされたが、彼女は憮然としつつも、しっかり受け答えていたのだった。





次の日。
ルーカが病室を訪れると、また少女は外を見つめていた。
しかし、彼の気配を敏感に感じたのか、すぐに振り向くと呆れたように笑いかける。

「仕方ないからお世話になりますよ」

その表情はどうしても笑顔になってしまうのを隠しているのかもしれない。少なくとも、ルーカにはそう見えた。

「そうか」

「はい」

「ならよかった。……あっ、そう言えば、今頃悪いが……学校に行ってもらう事になるんだが……」

「はい?」

「いや、昨日は忘れていてな。後はこっちの書類、記名してくれ……って名前、忘れていたんだったか?」

「……」

「そうだな……自分で好きに書いて構わないぞ」

「…………そうですね、なら貴方が決めてください。ここだと貴方がお父さんになるんですし……学校も仕方ないですよ……だから」

そう言われて彼は苦笑いする。自分に全く名付けのセンスなんて無いのだ。そして、彼女がお父さんと言った瞬間に少し気恥ずかしくなっていた。

「ははっ。そうきたか。ならできるだけいい名前にしないといけないな…………」

そして、病室に沈黙が降りた。

「……」

そして、沈黙を破るのはルーカの言葉。

「……」

大切な名付けと言う儀式。

「そうだな。お前はアイリィだ。アイリィ・サウスディッパー。オレ、ルーカ・サウスディッパーの娘……」

それは、意味を無くした少女に意味を与える儀式。

「……」

理解できない状況にも我慢し続けてきた少女……アイリィの目に涙が溢れる。

「……ぅん……よろしくお願いします……お父さん」



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