『十神十色 水火編T ―水の神―』
作:璃歌音

○3

 その日はお父さんと海辺に行った。
 お父さんは海の神だ。近頃、下の海が荒れているらしくて、そろそろ調整しなきゃいけないと言っていた。
「ああ、やっぱり海の気が少し乱れているなぁ」
 波打ち際に片膝をついたお父さんは、海に左手をひたして言った。そのままの姿勢でもう片方の手も入れると、その両腕にぐっと力が込もるのがわかった。海の気を整えているんだ。
「どうして気が乱れるの?」
 アタシが聞くと、お父さんは海に手をつけたまま、難しい顔をして「うーん……」と黙った。少しして、父さんは、
「やっぱり人間の仕業なんだろうなぁ」と答えた。今度ヒトに言っとこう、とも続ける。
「ところで、ミズ。ヒとはうまくいってないのか?」
 お父さんが、突然、そんな話を始めた。クサキが何か言ったのかもしれない。でも、クサキを恨む気にはなれない。
「うーん、と……」
 アタシが話そうとすると、お父さんはちょっと待って、と止めた。
「これを先に終わらせないと」
 そう言って自分が手をつけている海をあごで指す。お父さんはときどきこういうことがある。自分が今やっていることを忘れて他の事を始めようとしてしまう。
 しばらくして、父さんは海から手を引き揚げた。よいしょ、と言って立ち上がる。
「えーっと……」と、アタシをじっと見る。
 本当は思い出してほしくないところだけど、お父さんがかわいそうだから教えてあげる。
「お兄ちゃんの話でしょ」
「ああ、そうそう。……ヒが何か、嫌なことでも言ったのか?」
 優しい声でお父さんは聞く。お父さんはいつもヒよりアタシを大事にしてくれる気がする。
「たまにちょっかいかけられるけど……そういうことじゃない、と思う」
 じゃあどういうことだろう、と自分で考えてみる。前にクサキと話したときのことを思い出した。やっぱり、ヒのほうが力を使いこなせている気がして、悔しいのだ。
 そう言うと、お父さんはそんなことはない、と首を振った。それはきっとただの慰めだと思ったけど、お父さんが言うと本当のような気もしてくる。
「ヒと自分をよく比べてごらん? ヒにできないことがミズにはできるかもしれない。もちろん、逆にミズにできないことがヒにできるってこともあるだろう。どの神もひとりしかいない。どっちが上、なんてことはないんだよ」
 そこまで言うと、お父さんは水平線を眺めて黙った。なんとなくアタシも同じようにしてみる。悲しいような切ないような、何とも言えないもどかしい気持ちでいっぱいだった心の中が、だんだん空っぽになっていく、すっきりしていく感じがしてきたところで、お父さんがまた口を開いた。
「火があるから水は巡るし、水があるから火は消える。どちらが無くても大変なことになってしまう。一見、反対のものに見えるかもしれないけれど、もしかすると本当は似たもの同士なのかもしれないね」
 お父さんが、アタシを見た。
「帰ろうか」
「うん」
 お父さんと手をつないで歩き出す。

 明日……ううん、今日帰ったら、ヒに「枯れ枝濡らしちゃってごめんね」って言おう。





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