『トショ∞コイ シロ』
作:璃歌音



 納得はしていなかった。
 たまたま作品に目をつけた出版社の人間が、これはウケる、と散々推してくるものだから、仕方なく許可しただけだ。
 ケータイ小説みたいな装丁にされてしまうし。大言壮語したわりにはたいして売れたわけでもなく。いつか必ず、面白い、売れる本を出してやると中結都は密かに決意していた。

「中結都。元二年二組。文芸部です」
 担任に言えと強制された項目だけを事務的に述べ、結都は今日から一年使うことになる新しい椅子に座った。と、前に座っていた女子が急に振り向いた。
「中結都って、『トショ∞コイ』の?」
 ついさっきの自己紹介では山田香織と言っていた。香織は、長い髪をまとめてプラスチックフレームの眼鏡をかけた、あまり派手ではないが可愛らしいタイプの容貌の女子だった。
「……ああ。知ってるんだ?」
「うん! 私、あれ大好きなんだけど。ホントにキミが書いたの?」
「……ゴーストライターを使ったとでも?」
「あ、いや、そうじゃなくて。ホントにあの中結都なのかな、と」
「そうだよ」
「へー! あとでサインもらってもいい?」
「いやだ」
「なんで?」
「俺はまだそんなレベルじゃない。あれだって本当は本になんかしたくなかった。俺はもっと面白いものを書ける」
「あれよりもっと!? すごいね、書けたら絶対読ましてよ」
「……」
「あ、ねぇねぇ。『トショ∞コイ』のあの無限大のマークって、どういう意味なの?」
 結都がいい加減鬱陶しく感じてきたところに、先生の鶴の一声が聞こえた。
「山田さん! なに喋ってるの、ちゃんと自己紹介を聞きなさい」
「あ、はーい」
 香織はようやく正しい方向に向き直った。ちょうど自己紹介を終えた女子に笑顔で拍手をする。

 高校三年の一学期初日の今日。始業式、大掃除、ホームルームの三時間でこの日の日程は終わる。帰り際、香織がまた声をかけてきた。
「ねぇ、あの無限の意味は?」
「……しつこいな」
「だって気になるから」
「知らないよ。出版社のおっさんが『愛は無限大だ』とか叫んでたからたぶんそれじゃない?」
「……。あ、そう」
「なに?」
「なんか、もっと可愛い意味を中くんが考えたんだと思ってた」
「なにそれ?……俺にどんなイメージ持ってたわけ?」
「だってもう、あれ読んで、こんな可愛い話書ける人ってどんな人だろう? って、中くんに恋心抱いてたんだから」
「……何気にすごいこと口走ってるけど」
「そう? まあ、実際会ってみるとちょっとイメージと違ったけど、私、中くん好きだな」
「それ、どういう意味で?」
「ん? もちろん人として。男の子としてなんて言ってないよ。あ、勘違いした?」
「してない。……でも、さっき恋心とか」
「んー、言葉のあや?」
「なんだそれ」
 そこへ、香織の友達の松木裕花が香織を呼ぶ。
「香織ー。帰ろー?」
「あ、うん。じゃあまたね、中くん」
「……ああ」
 二人の話が終わるタイミングを見計らってか、結都と同じ文芸部でクラスも同じになった谷原亮が話しかけてきた。
「おい、結都お前、なに山田さんと早速仲良くなってんだよ」
「いや、向こうが勝手に話しかけてきただけ。俺の本、好きなんだってさ」
「ああ、結都が書いたっていう本? たいして売れずに学校内にも全然バレなかったのにな」
「うるせぇ」
「『トショ∞コイ』だっけ? あんなのどこが面白いんだか」
「そうだよな……って、おい」
「なんだよ、いつも自分で言ってるじゃん」
「自分で言うのは良いけど、人に言われるのはいやだ」
「なんだよそれ……。それにしても、山田さんって結構可愛いよな? あ、でも山田さんは結都に気があんのか?」
「いや、そういうんじゃなくて」
 結都の言葉には耳を貸さず、亮は続ける。
「じゃあ俺は松木さんにしようかな。清楚で可憐で、なかなかいいよなーああいうタイプも」
「勝手にしろ」
 恋愛小説を書いた結都が言えたことではないが、すぐに付き合うだのそういう話にもっていく亮に呆れて結都は教室を出る。
「あ、待てよ。一緒に帰ろうぜ」

 翌日、香織は自分の家から『トショ∞コイ』の本を持ってきていた。
「ね、サインして?」
「いやだって言っただろ」
「お願い」
 潤んだ瞳で見つめられ、一瞬屈しそうになった結都だが、そう簡単には自分の信念を曲げられない。
「俺はまだ作家じゃない。何冊も本を出して、人気作家になったらサインしてもいい。それまではいやだ」
 香織は何も言わず口の形をアルファベットのOの字にしている。ここまで綺麗にOの形を作れるのも珍しい、と結都が変なところに感心していると、
「かっこいい!」
「は?」
「わかった! 私、応援するよ!」
「は、はあ……」
「絶対人気作家になってね! 私待ってるから」
「彼女みたいなセリフだな」
「別にホントに彼女になってもいいけど?」
 突然の告白が、本気か冗談かわからず、結都は固まってしまった。なにしろ、恋愛小説を書いておきながら、本物の恋愛経験は皆無という結都である。
「あ、うそうそ! 冗談だって。本気にした? あはは」
 香織は焦って訂正したが、あながち冗談というようでもないようだった。もちろん、恋愛経験の無い結都がその様子に気づくことはなかった。

 それからも、香織は何かと結都に話しかけてきた。最初は鬱陶しく思っていた結都だが、毎日話をするうちに明るくおおらかな香織に少しづつ惹かれていた。もちろん香織も、恋心を抱いて結都に接しているのだが、香織も結都と同じく恋愛経験は全く無く、お互い自分の気持ちに気づけずにいた。
 そんな状態で一ヶ月が過ぎたある日。
「中くんって、大学どこ行くの?」
「もう青河大の推薦決まってる」
「青大!? すごっ。……って、早くない?」
「ああ、推薦っていうか、部活の関係で大学側から、みたいな」
「運動部ではそういうのあるけど……中くん何部?」
「文芸部」
「文芸部!?」
「ほら、俺、本出せちゃうくらいの実力あるし」
「でも、自分では納得してないんでしょ?」
「まあ、そうだけど……。香織さんはどこ行くの?」
 結都は、気づくと香織のことを香織さん、と呼んでいた。なんとなく山田さんとかよそよそしい呼び方をしたくないという気持ちからだった。
「あー、私は専門学校かなーって」
「へぇ。なんの?」
「せーゆー」
「スーパーの?」
「じゃなくて、声優」
「ああ、声優。いいじゃん、香織さん、声可愛いし」
「えっ」
 見る見るうちに香織の顔が赤くなる。
「かっ、からかわないでよ」
 別にからかっているつもりではない結都だったが、香織の顔を見たらなぜか何も言えなかった。



「ねぇ香織、中くんのこと好きなんじゃないの?」
 とある日、香織は昼休みに裕花と一緒に昼食を食べていた。裕花の最近の話題は、もっぱら香織と結都についてだった。
「え……わかんないってば」
「わかんないって……。よっし、香織。デートに誘いなさい」
「はっ!? え、いや、だって付き合ってもいないのに」
「付き合うきっかけのためにデートするのよ。ほーら、こんなところに遊園地のチケットが二枚あるー。どうするー? 欲しいー?」
「う……欲しい」
「あぁー! 可愛い! もう、こんなに可愛いんだから自信持ちなさいよ」
「う……うん」



「あのさ」
「ん?」
「遊園地行かない?」
「は?」
「ち、チケット貰っちゃって」
「で、俺と? 松木さんとかと行ったほうがいいんじゃない?」
「裕花は、そのぉ……遊園地恐怖症なんだって」
「遊園地恐怖症!? なんだそれ」
「あの、小さいときに遊園地に噛みつかれたとかで」
「犬だろそれ!」
「とにかく、私、中くんと行きたい」
「いいけど。別に暇だし」
「あ、ありがと!」



「まじかよ! それ思いっきりデートに誘われてんじゃん!」
「え、そうなの!?」
「そうなの、じゃねぇよ。お前はホントにそういうの疎いな」
「……」
「そうかぁ……。遊園地かぁ……」



「松木さん!」
「んえ!? ああ、谷原くん?」
「俺も、松木さんと遊園地に行きたいです!」
「……は?」
「チケット恐怖症の人から恐怖の遊園地を貰って!」
「……あはははは! 何? 香織の真似? 谷原くんて面白いね! あははは! しかも言ってることめちゃくちゃだし」
「あ、いや、その」
「いいよ」
「へっ!?」
「行こう? 遊園地。私もね、谷原くんのこと、結構気になってたんだよ。……男らしい告白、待ってるから」
「あ、はいぃ! ……松木さんは、清楚というイメージとは少し違った。でもこれはこれでいいっ」
「なんかいった?」
「いやなにも!」



 とある日曜日。
 とある遊園地。
 結都と香織のペア、亮と裕花のペアは見事に同じ日、同じ遊園地にやってきていた。
「谷原くん、わざとじゃないのよね」
「あい……たまたまです」
「はぁ……。よし! こうなったら香織たちの様子を見張ることに徹するわ!」
「お、俺のデートスケジュールがぁぁぁ……」
「香織! 私たちは勝手に遊んでるから、あんたらも二人で楽しみなさい!」
「え、せっかくだからみんなで……」
「じゃあね!」
 脱兎の如く、亮・裕花ペアはその場から去る。
「……行く?」
 人生初のデート(しかもまだ付き合っているわけではない女子との)に緊張する結都は、なんとか切り出した。
「……うん」
 顔を真っ赤にした二人は、口数少なく歩き出す。その様子をやきもきしながら裕花(と亮)が伺っていることは二人は知る由も無い。

 とある遊園地のとあるコーヒーカップ。
 優柔不断にうろついた挙句、なんとか本日一つ目のアトラクションにたどり着いた結都と香織は、ゆっくり回るカップの中で卒業式のようにぴしっと座っている。
「回せや!」
 別のカップから様子を伺う裕花と亮が声を揃えてツッコむ。そのせいで二人にバレてしまったので、裕花は開き直って思いっきりカップのハンドルを回しだした。あまりの高速回転に亮が気持ち悪くなったことは余談である。

 とある遊園地のとある観覧車。
 ここでも結都と香織は一言も喋れず、結局十分間無言で過ごして観覧車から降りた。
 一方、亮が観覧車が一番上に来たところで裕花に告白しようとして、
「つまんない。もっとドラマチックに」
 と、ダメだしされてしまったことも余談である。

 とある遊園地のとあるジェットコースター。
 驚くことに、結都・香織ペアは無言でジェットコースターに乗り続けるという快挙を達成してしまった。
 亮がジェットコースターが滑走している中、
「好きだーーーーー!!」
 と、羞恥心を捨て去った告白を決行した結果、裕花から合格点が貰えたこともまた余談ではあるが、彼らはここで結都たちの状況に痺れを切らした。
「ねぇ、中くん。いい加減なにかしたら?」
「……あの、さ。いろいろセッティングしてもらって悪いんだけどさ。俺は、もう少しゆっくり仲良くなっていきたいかな、と」
 結都の違う意味での告白に、香織も同調する。
「うん、まだ会って日も浅いしね」
 すでに晴れてカップル成立となっている亮が、
「一ヶ月って、『日が浅い』のか?」
「さあ? 香織たちには浅いんじゃない?」
「ね、せっかくだから、今日は四人で楽しも?」
 香織が率先して歩き出す。すぐに結都がついていき、残りの二人も諦めたように笑って追いかける。

 既に、結都と香織の出会い、すなわち四月のクラス替えから半年が過ぎていたが、未だに二人は「友達」のままである。裕花たちが時々茶化しても、二人とも等しく恥ずかしそうに顔を赤らめるだけ。
 しかし、人の数だけ恋がある。
 恋の数だけ人それぞれのストーリーがある。

 無限に広がる恋の物語。ひとまずこれにて、おしまい。



The End.