『トショ∞コイ アオ』
作:璃歌音



 恋人に振られた。
 理由は「思ってたよりなんか馬鹿っぽいから」。私はなかなかの大学にも通ってるし、言うほど馬鹿ではないと思うのだが。 正直、顔の良さだけで付き合っていた男で、性格はとても良いとは言えなかったのだが、よく本は読んでいるやつだった。
 だから、というわけではないが、本を読もうと思った。同じサークルの由紀に薦められた『トショ∞コイ』という本を、学校帰りに図書館で探してみた。普段、図書館なんてほとんど来たことがないので、どうしても見つけられず、係員に訊いてみた。あとでわかったが、図書館では係員ではなく司書、というらしい。
 結局、探していた本は書庫にあったらしく、通りで見つからないわけだ。司書が本を取りに行くのを待っていると、隣のカウンターでもなにかを待っている人がいた。自分と同じ大学生ぐらいの男だ。あんまり顔がいいとは言えない。
 司書が戻ってきて、一応財布に入れっぱなしになっていた貸し出しカードを出して貸し出し手続きをする。と、隣の男がなにやら司書に謝られながらこっちをちらちら見ている。気持ち悪いな、と思った直後、彼が見ているのが自分ではなく、自分が借りようとしている本だということに気づいた。
「すみません」気づくと声を発していた。
「あ、いえ……」
 彼は恥ずかしそうに顔を伏せる。律儀そうでかわいらしい感じがした。

 駅で帰りの電車を待つ間、ホームのベンチで借りた本を早速読み始めた。
 なかなか面白くて、しばらく読んでいると、頭上から声がした。
「あ」
 顔を上げるとさっきの大学生が「あ」の口をして立っていた。
「あ、どうも」
「どうも」
 彼は私の座っているベンチに一つ空けて座る。私がまた本を読み出したとき、
「面白いですか?」
「え?」
「あ、すいません。邪魔しちゃって」
「いや。私こそ、なんか横取りしたみたいになっちゃって」
「そんなことないですよ。まあ、なかなかない偶然ですけど、ああいう時は早いもんがちですから」
「よく図書館には行くんですか?」
「ええ、まあ。あなたは?」
「いや、普段はあんまり行かないんですけど。……これを友達に薦められて」
 恋人に振られた、なんて理由はもちろん言わない。
「へえ……。僕は、その本の作者がサークルの先輩なんで。気になって読んでみようかと」
「え!? そうだったんですか?」
 私は、思わず本の表紙を眺めた。
「まあ、高校生のときに書いたたいしたことない話だから、読まないでくれって言われてるんですけど……」
「あ、サークルってことは、大学生?」
「はい、青河大学です」
「え、青大?? 私と同じだ」
「あ、そうなんですか? 僕、法学部の二年なんですけど」
「あ、さすがに学部は違うけど、学年一緒だよ。私は工学部。なんかいろいろ偶然重なって奇跡みたいだね。これから恋が始まる、みたいな?」
「えっ……」
 彼の顔が赤くなる。あ、どうしよう、かわいい。ホントに恋しそうだ。そう思って、つい、
「あ、あのさ。これも何かの縁っていうかさ、私これからいろいろ本読んでみたいから、面白い本教えてよ」
「あ、うん。いいよ」
「じゃあ、携帯のアドレス教えて?」
 我ながら、なかなか無理のある口実だったが、彼が素直に携帯を取り出したのを見ると、なんとかなっていたらしい。もしかしたら、結構脈アリかもしれない。
 すると、ホームに電車が入ってきた。
「あ、ごめん。僕、これに乗らないと」
 この路線は、電車が駅に停まっている時間が短いことで有名だ。彼が電車に駆け込んでしまう。残念。神様はなかなか上手くいかせてはくれないらしい。
 だが、動き出した電車の窓から彼が手を振っている。もう……なんでそんなにかわいいことするのかな。気づくと、名前も知らない彼に完全に恋をしていた。

「あ」
 翌日、大学に行くと、門の前で彼にばったり会った。彼は昨日出くわしたときと同じ顔をしている。
「もう、すごい偶然だね。なんか運命的じゃない?」
「運命なんて言い過ぎじゃないかな。……あ、昨日はごめんね。あれを逃したら次が一時間後だったから」
「ううん、全然いいよ」
「じゃあ……」
 そう言って、彼は携帯を取り出す。恋の女神はなんて気まぐれなんだろう。
 赤外線通信でプロフィールを交換する。
「これ、なんて読むの?」
「ああ、ななはらたける。数字の七に原っぱで七原、健は……」
「いや、字はわかってるから」
「あ、そっか。えっと、美木眞弓さんかぁ。これでまゆみって珍しいね」
「そう?」
「あ、そうでもない?」
「んー、わかんない」
 特に意味の無いやり取りをして二人で笑う。ああ、こんなささやかな幸せ、久し振りだ。最近、周りの目を気にして顔の良い男を選んでばかりで、本当に好きな人と付き合っていなかったのかもしれない。
「あ、ねぇ。昨日の本、もう読み終わっちゃったんだけど、読む?」
「……だめだよ」
「え?」
「あ、ごめん。僕、小さい頃からよく図書館行ってて、親に図書館の本を又貸ししちゃダメ! ってよく言われてたから」
「あ、そっか」
「美木さんが返したら借りに行くよ」
「わかった」

 それから、『トショ∞コイ』の感想から始まって、健のオススメの本を教えてもらったり、なんでもない雑談したりと、メール交換をよくするようになった。大学でも、一緒に昼食を食べたりするようにもなった。あの図書館にも一緒に行くようになった。由紀にも、付き合ってるの?と訊かれたり、はたから見たらもう恋人にしか見えない関係だっただろう。それでも、なかなか勇気が出ずに、何も言えずにいた。
 その日も、一緒に学食で昼ご飯を食べていた。
「あ、ねえ、健くんが入ってるサークルってどのサークル?」
「えっと、文芸サークル……なんだけど」
「えっ、じゃあ小説書いたりしてんの?」
「うん」
「今度読ませてよ。私、最近健くんの影響でいっぱい本読んだから、目が肥えてると思うよ」
「たった五冊読んだだけでなに言ってんの」
「あちゃ」
「まあいいや。年に一度出してる会誌があるから、今度持ってくるよ」
「ありがとー」

 その後、健が持ってきた会誌には、もちろん健以外の書いた作品も載っていて、『トショ∞コイ』の作者、中結都が書いたものもあった。私の目で見ても、『トショ∞コイ』からはるかにレベルが上がっていることがわかった。健によると、彼はいくつもの出版社から声のかかっていてすでに将来有望な作家として認められているらしい。
 その健の書いた小説は、本人の性格に似て、優しくてかわいらしい恋愛小説だった。それを読んで、私は勇気を出した。

「面白かったよ、なんか心があったまった」
「そう、そう言ってもらえると嬉しいな」
「あの、中先輩っていう人のもすごいね。なんかわかんないけどすごいってことだけはわかった。すごく引き込まれて面白かったよ」
「だよね! あの人の書く話はみんなそう。でも、先輩はまだまだ満足してないらしいけど……」
 そう言う健の瞳の輝きには憧れ、とはまた別の感情が含まれている気がして、変な気分になった。
「あ、あのさ」
「ん?」
「突然で悪いんだけど、聞いて」
「うん」
「私ね、あの日、図書館で会って……違うかな。駅で話したときからね、健くんのこと、好きになっちゃった。でね、もし、もしよかったら」
「ごめん」
 一瞬、なんと言われたのかわからなかった。冗談めかして聞き返そうと顔を上げると、彼の顔はいつになく真剣で、だけどいつになく暗かった。
「美木さんは、僕にとって大事な友達なんだ。それに、僕には好きな人がいて……」
「あ、そうなんだ? サークルの女の子とか?」
 明るく言おうとしてみたが、思わず涙声になってしまった。
「いや、僕が好きなのは、女の子じゃない。……僕は、ゲイなんだ」
 私には、マンガやドラマでしか触れたことのない世界だった。どういうことか、よくわからない。
「ごめん」
 彼はもう一度謝った。


 私は、本に関わって短い間に二度も失恋してしまった。
 でも、これからもいろんな本を読みたいと思う。例の『トショ∞コイ』は、インターネットで買って教科書とマンガだけだった本棚にしまってある。
 なにしろ、大切な親友ができたきっかけの本だから。



The End...