『旅人「子供の国」』
作:璃歌音



 旅人は今日も美しい。

 長い黒髪をなびかせながら、前方の村を見据え、凛と立っている。


 それを私は、一歩下がって見つめる。



 尋常ではない量の荷物を持って。

「あの、この一番小さなリュックだけでも持ってもらえませんかね?」


 返事はない。
 はなから返事など期待してはいない。ダメもと、というやつだ。
 旅人は新しい土地にやってくると、決まってこの状態になる。

 目的地を見据え、しばらく微動だにしない。

 その間、私はすべての荷物を抱えていなければならないのだ。


 ここのところ、腰痛の気があるのは、これのせいではないだろうか。



 しかし、風になびく黒髪を眺めていれば、その痛みも忘れる。
 私は、この時間がすこぶる好きだ。荷物の重さなど、さして気にならない。


 しばらくして旅人は振り向いた。

「ん。ありがと」

 旅人は自分の荷物を持つ。この自然に礼の言葉が出てくるところがかっこいいと、常々思う。

「じゃあ、行こうか」
「はい!」
「なんでそんなに元気なの?」
「いえ、なんでもないですよ」
「……?」

 私たちは村へと向かった。


αβγδεζηθικλμνξοπρστυφχψω

 門番が無言で門を開く。私たちは、結局一言も喋らなかった門番に軽く会釈をして村に入った。とりあえず、村の一番大きな通りへ向かう。
 すると
「ぶーーーーーーーん!」
 どこからどう見ても大人にしか見えない男が、両手を広げて走り回っている。よく見ると、周りの他の人々も皆、子供のようなふるまいだった。
「……とりあえず、泊まれるところを探しましょうか」
「ええ。そうね」
 あたりを見回すと、小さな宿屋らしきものがあった。らしきもの、というのは、看板に書かれている文字が「やどや」に見えなくもないという程度だったからだ。
 私たちは、とりあえずその「やどや」に入ってみることにした。
「きゃははははははは!」
 とても話しかけられるような雰囲気ではなかった。この様子だと村中の人間がこんな状態なのだろう。
「なんなのでしょう? この村は……」
 そう言って振り返ると、旅人はどこか面白がっているような表情で考え込んでいる。
 と、旅人はいきなり歩き出した。
「ちょ、ちょっと、どこいくんですか?」


 旅人が開けたドアは村役場のドアだ。
「村長はいますか?」
 入って早々、旅人はそう言った。中にいる人々は、ぽかんとして旅人を見た。
「そんちょう? ……そんちょうは……どこだっけ?」
「どこだっけ?」
「……あっちじゃない?」
 一人の男が奥の部屋を指差した。
「そう。あっち」
 旅人は頷いて、奥の部屋に入った。
「わ、なんだよ。誰だ! おまえ!」
 その部屋にいたのは、見た目は初老で髪の毛やひげが徐々に白くなっているくらいだが、にじみ出る雰囲気はどう多く見積もっても、十代のそれだった。
 旅人はしばらく黙っていたが、一言、
「違うかぁ……」
 そう言うと、さっさと外に出て行った。
「あの! なにをしようとしてるんですか? どこに行くんですか?」
 私は聞いてみた。
「う〜ん……。ちょっと、説明しづらいかな」
 旅人はそのまま、私たちが入ってきた門とは反対側の村のはずれまで行った。村は思ったより狭く、十分ほどで着いてしまった。
 と、眼前にとてつもなく巨大な灰色の建物が現れた。小さな家屋しかない村からなぜ見えなかったのか、不思議なくらいだ。いや、本当は見えていたのだろう。人間とは、ほとんど空など見ないものだ。つまり、空を仰ぐつもりでないと、それが建物だと認識できないほど大きいということだ。
「見っけ」
「え? 見っけ。って、ここを探してたんですか? って、ちょっと! 入るの? え、なんか怖いんですけど……って、ああっ! ま、待ってくださいよぉ!!」
 旅人を追いかけて建物に入っていった。建物の中は、飾り気のかの字もないような無機質なものだった。なんとなく、研究所とかそういうもののような雰囲気がするような場所である。
「すいませーん!! 誰かいらっしゃいませんかー!!!」
 突然、旅人はとてつもない大声を出した。
「う、うわ……び、び、びっくり……した」
 心臓が破裂するかと思った。
「……。無視?」
「あ、え? 私に言ったんですか?」
「ごめんくださーーーい!!!! どなたかでてきてくれませんかーーーーー!!!!!!」
 全く、この人は私の心臓をどれだけ痛めつければ気が済むのか?
 と、建物の奥のほうからがたーん! という音がした。
「あそこか」
 旅人は走り出す。いつものことだが、何をするのかを話してから行動して欲しいものだ。
 わけがわからなくなるくらいの数の階段を登り、気持ち悪くなるくらいの数の扉の中から、旅人は迷わず一つ選び、いきなり開けた。
 その瞬間、部屋の中から耳をつんざくほどの大音量の音楽が溢れ出してきた。ジャンルもわからないような意味不明な音楽だ。部屋には、大量のモニターやコンピューターが置かれていて、その中に椅子ごと転んでいる男がいた。
「な、なんだお前らは。び、びっくりしたな。ああ、心臓痛い」
 男が叫ぶ。この音楽のほうがよっぽど心臓に悪そうだが。
「音楽を止めてもらっていいかしら?」
 旅人が、この騒音の中でもなぜかよく通る静かな声で言うと、男はしぶしぶ従った。
「まず、この村は何が起きているの? まあ、大体想像はつくけど」
 その想像を先に私に話して欲しい。
「……」
 男は何も言わない。
 旅人が男につかつかと歩み寄り、これでもかと言うくらい顔を近づけた。彼女がそのまましばらく無言で待ち、男が顔を逸らす。旅人は体をずらしてまた男と視線を合わせる。
 ちょっとうらやましい。
「……わかったよ! ったく、なんなんだよ……」
 男がとうとう折れた。
「実験をしてるんだ」
「実験?」
 つい、口を挟んでしまったが、旅人は何も言わない。
「ある研究者が突然言い出してね、純粋な子供だけのコミュニティーを作れば、清らかな社会を形成できるのではないかって。……俺はその観察を任されてる人間だが、村はこの有り様だ。実験は失敗だな」
「実験が始まったのはいつ?」
「もう何十年も前だよ。無作為に連れてこられた子供たちはもうあんな年齢になってる。観察係も俺で五人目だったかな」
「あの人たちの人生はどうなるんですか?」
 またもや口を挟んでしまった。
「学者っていうのはね、そんなこと気にも留めないのさ。まあ、全員がそうとは言わないけど、少なくともこの実験の立案者はそんなこと考えない人間だった」
「ありがとう。仕事の邪魔して悪かったわね」
 そう言って旅人はさっさと出て行く。私も男に詫びを入れてから後を追った。

αβγδεζηθικλμνξοπρστυφχψω

「もう此処には居たくないわ。早く出ましょう」
「は、はあ……」
 旅人は颯爽と歩いていく。
と、鼠の群れが走り去っていった。
「なんでしょう、あれ?」
 旅人は答えない。

αβγδεζηθικλμνξοπρστυφχψω

 ―――夜。
 寝ていると、もの凄い地震が起きた。テントから飛び出すと、すでに相当な距離になっている村が、大惨事になっていた。子供の適当な工事によって造られたシステムだったのだろう。水道管もガス管も破裂し、あちらでは火事、こちらでは洪水というような酷い状態に陥っている。
 それを、凛と立って冷たい目で見つめる旅人は言った。
「ここまで酷くなるとはね」
「知ってたんですか!?」
「じゃなきゃ、食料も補給せずに村を出たりしないわよ」
「いや……でも、村の人たちに避難するように言ってたら……」
「あんな酷い村、助ける価値なんてないわよ」
 ぎょっとして、旅人を見ると、彼女の瞳は、とても悲しい色を帯びていた。
「……まあ、お子様たちに何を言っても信じやしなかったでしょうしね」


 旅人は時に、とてつもなく恐ろしい。



 しかし




 相変わらず、旅人は美しい。





The End...