『パラレルボックス』
作:璃歌音



 いつもの帰り道。
 今日も俺は、近所のコンビニに立ち寄った。
 新しいバイトは可愛い子だなぁなどと考えながら、毎週買っているマンガ雑誌を買う。今週は好きなマンガが表紙だ。もうすぐアニメ化もするらしい。
 小さな幸せに喜ぶ自分に呆れながら店を出る。
 ああ、そういえば明日は英語があったな。帰ったら予習をしておこう。
 俺の高校の教師陣は、執拗に生徒に質問を当て答えさせる。それによって授業の進みが極端に遅くなっているのが分からないのだろうか。
 まあ、彼らにも彼らなりの考えがあるだろうから、尊重してやるべきだろう。それが大人ってモノだ。


 …………?


 なんだあれは。
 見慣れたいつもの帰り道に、見慣れない異物が混じっていた。

 電話ボックス。
 携帯電話の普及によって絶滅危惧種と化している代物だ。
 その上には猫が居る。
「おーい、ねこー」
 呼んだら逃げてしまった。猫を猫と呼ぶのもおかしな話だが。

 違う違う。
 今は電話ボックスだ。
 何故、今までなかった電話ボックスが忽然と姿を現したんだ? 今どき、新たに電話ボックスが設置されることがあるとは。
 それにしてもおかしい。毎日通っている道なのに工事している様子など全く見ていない。電話ボックスなんて一日で設置できてしまうというのか?

 気がつくと、俺はその電話ボックスに入っていた。何をやってるんだ、俺は。

 せっかく入ったからにはそのまま出るのも勿体ないな、なんて変なことを考えて、受話器を取ってみる。
 電話の受話器を持ったら言う言葉は一つだ。
「もしもし」
 自分でも馬鹿げていると思った。お金も入れず、番号も押さずにもしもしなんて言ったって、返事が返ってくるわけがな
「もしもーし」
「うおおおお!!」
 ……返ってきた。
「うわ、びっくりした。でも良かったー。やっとかかってきましたぁ」
 かわいらしい女性の声がそんなことを言っている。結構若そうだ。さっきのコンビニの店員の声に少し似ている気がした。
 ……というか、どういうことなんだ?
「あの、これは一体……?」
「あ、ごめんなさい。つい嬉しくて」
 電話の向こうの女性が咳払いを一つすると、急に事務的な口調に変わった。
「お電話有り難う御座います。『パラレルボックス』へようこそ」
 ……ぱ、パラレルボックス?
 心の中で呟いたつもりだったが、無意識に口から出ていたらしい。
「はい。パラレルボックスです。パラレルワールドに行ける電話ボックス、略してパラレルボックス」
「パラレルワールドぉ?」
「あ、えっとですね。この世界は、あらゆる可能性において全てのパターンに分岐していくものなんです。分岐した世界は別の世界として成立します。それを、パラレルワールド、または平行世界と呼びます」
 一気にまくしたてられてしまった。
「いや、そのくらいは知ってます」
「あ、すみません!」
 律儀で可愛い人だ。
「そうじゃなくて、なんでそんなものがここに……?」
「あ、えっとですね。簡単に言うと、とある大富豪の暇つぶしです」
 簡単すぎる。
 俺が黙っていると、さすがに説明不足だと気づいたのか、
「えっと、とあるものすごい大富豪さんが居てですね、あ、トランプじゃありませんよ? ……腐るほどあって使い道に困っていた莫大な資金をつぎ込んで研究したのです。パラレルワールドに行く方法を」
 ………………。
 可哀想に、この可愛い声の持ち主には妄想癖があるようだ。
「あ、やっぱり信じて貰えませんよね。じゃあ、試しに別の世界にあなたを送ります。お隣の世界で良いですね? お隣は……あら偶然。丁度あなたが手に持っているその雑誌を買わなかったパターンです」
 …………は??
 と、急に周りの景色が回り出した。
 しばらくして、周りではなくて自分が回っているのだと言うことに気づいた。
 そろそろ胃の中のものが食道を這い上がってきそうだと感じた瞬間、突然回転が止まる。俺が手を離してしまったためにぶら下がった受話器を耳に当ててみた。
「大成功ですね!!」
 なにがだ。
 と、手を見ると、さっき買ったはずの雑誌がない。どこかで落としたか?
「あ、雑誌、ありませんよね? この世界はあなたがその雑誌を買わなかった場合の世界なんです。本当は、あなたが今日雑誌を買わなかったことであらゆる変化が起きているのですが、この場で確かめる術はないでしょう」
「あの、俺の雑誌返して下さい」
「返すもなにも、あなたは雑誌なんて買ってませんよ?」
 いい加減腹が立ってきた。
 俺は巻頭カラーのあのマンガが読みたいんだ。アニメ化の最新情報も知りたいんだ。
 全く、ふざけたことをしてくれる。
「……この程度じゃ信じて貰えませんか」
 そう言って、彼女は俺をあらゆるパラレルワールドに転送した。
 俺がコンビニに行かなかったパターン、雑誌以外にスナック菓子を買ったパターン、コンビニのあの可愛い新人店員に一目惚れして連絡先を訊くという愚行をとったパターン、エトセトラだ。
 何度もぐるぐる回らされて本気で吐くかと思った。
「わかった、信じる。信じるから。もうやめてくれ」
「そうですか。やっと信じて貰えましたか!」
「……で、どうしてこんなものでパラレルワールドに?」
「今の科学力を全て集結させれば、すごいものが出来てしまうんです。なんなら、詳しい原理をお教えしましょうか? まず、かのソバラバ博士が導き出したソバラバの法則に基づいて、この世界のゼウス構成比率を求めます。そこから、各世界のデリーヌの値を出して、それをモモードコンピュータによって変換します。そしたら蓋を開けて、かやくと粉末スープを入れて、お湯を注いで3分待つんです。ここで、マリーズ式を用いるんですが、そのためにはまず……」
 理解できるはずがない。ただの高校生にそんマドレーヌだの桃の天然水だの言われたって、分かるはずがない。
 途中でカップラーメンを作っていた気がするが、聞かなかったことにしておこう。
「……というわけなんです」
「はい」
 奇妙な沈黙が流れる。
 俺も何か好きな洋菓子や清涼飲料について語らなければいけなかったか、とか不安に思い始めると、向こうが口を開いた。
「理解したんですか!」
「してませんけど」
「ですよね……。説明してる私が分かってないんですから」
 じゃあ話すなよ。
 とりあえず、気になっていることを訊いてみる。
「それで……この電話ボックスでどんなパラレルワールドにも行けるんですか? 例えば、このマンガが現実になっている世界とか」
「ええ、そういう世界もありますよ。もちろんどの世界にだって行けます」
 まるっきりもしもボックスじゃないか。
「あなたは、偶然この電話ボックスに入ってくれた人第一号ですから、実験も兼ねて無料で使い放題です!」
 他の人間からは金を取るのか!
「当たり前ですよ。大体、電話ボックスでお金入れずに電話できたりしませんよ」
 そんな常識、今更持ち出されても。

 ふと、思った。自分がパラレルワールドに行ったら、その世界に元々居た俺はどうなるんだ?
「同化します」
 なんと。……ん? それじゃあ、
「俺が生まれなかった、もしくはもう死んでるとかで俺のいない世界には行けないって事ですか?」
「それは大丈夫です。うちの研究者たちが頑張りましたから」
 頑張りましたって、小学校の学期末に配られる通信簿じゃないんだから……。
「それで、次はどの世界に行きますか?」
「あの、今日はもう帰ってもいいですか? そろそろ親が心配するんで」
「あ、もちろん良いですよ。また明日も……来てくれますか?」
 そんな事、可愛い声で言われたら元気良く首肯するしかないだろう。
 うなずいても電話の向こうには伝わらないことに気づき、同じくらいの元気の良さで今度は声に出して返事をする。
「はい!」


 全く、とんでもないものに遭遇してしまった。
 次の日は、一日中どんな世界に行ったら面白いか考えていた。あとで誰かにノートを写させて貰わないと。
 パラレルワールド行き放題の期待と、あんな電話ボックスは夢だったんじゃないかという不安を抱えながら、コンビニにも寄らず帰り道を走った。
 電話ボックス、いや、パラレルボックスは健在だった。早速中に入って受話器を取る。
「あ、ちゃんと来てくれたんですね! 嬉しい♪」
 この人は不必要に男をその気にさせてしまうタイプの人なんだと思う。
「昨日言い忘れてたんですけど、パラレルワールドには便宜上、番号をつけているんですね。で、今後はその番号を言ってもらってもその世界に行けますよ」
「俺が居るこの世界は何番なんですか?」
「1567899327641番目の世界です」
 ……は??
 えっと、いち、じゅう、ひゃく、せ……一兆!?
 なんだそれは。
「ちなみに、全部で世界はどれぐらいあるんですか?」
「今この瞬間にも急速に増えているので、正確には言えませんが、少なくとも垓は超えています」
「え? なにを超えてる?」
「がい、です。京の上ですね」
 ケイすら知らん。あまりに見慣れない数字の登場で、思わず鳥肌が立った。
「それで、どの世界に行きますか?」
 来た。まともに授業を受けずに一日考えていたことだ。考えすぎて、ぐちゃぐちゃになってしまった。
 とりあえず、
「魔法がある世界に行ってみたいです」
「魔法、と一口に言いましても、様々な種類がありまして、魔法と呼べるものが存在している世界は2億ほどありますが」
「じゃあ……ハリー・ポッターみたいな感じのところで」
「かしこまりました。567248991番目の世界です」

 この後、俺はハリー・ポッター「みたい」どころか、完全にハリー・ポッターの世界に飛び込んで、波瀾万丈な冒険を繰り広げたが、それはまた別の話としておこう。

 それからも、俺は、毎日その電話ボックスに通い、ありとあらゆる世界に飛んだ。
 ボールに入れられるモンスターを集めたり、麦わら帽子を被った海賊と一緒に旅をしたり、緑と黒の二色の体でごついベルトを巻いた変な奴が怪人と戦ってるのを目撃したり、と様々な経験をしたのだが、そこは割愛させていただく。
 そこが一番大事だろうって?
 知るかそんなもん。


 ある日、俺は面白いことに気付いた。
「世界が分岐する旅に番号が増えていくんですよね? ってことは、1番の世界は……?」
「……ええ、太古の昔から何も変わっておりません。」
「今度はそこに行きます!」
「えっ、本当に、行くんですか?」
「はい、だって面白そうじゃないですか!」
「…………そうですか、かしこまりました。1番目の世界です」
 と、またいつもの回転が始まった。いい加減、これにも慣れてきたと思う。

「さようなら」
 ……ん? なんだろう。

 微かに聞こえた声を気にする間もなく、その世界へとたどり着いた。
 すごい!
 どこを見てもだだっ広い大地が広がっている。ビルなんかひとつもない。どこかから恐竜が現れるんじゃないか? ちょっと楽しみだ。
 それにしても、こんな場所に来るというのもいいものだ。文明のぶの字も感じられない。


 ……ん?
 文明が……ない?


 そこで、ふとあたりを見回してみた。
 いつもなら、着地地点のすぐそばにあった、アレはどこだ?



 ……俺は、とてつもなく馬鹿なことをしでかしてしまったらしい。



 電話ボックスが、いや、「パラレルボックス」が…………





 ない。





The End...