『とある昼休みの恋の物語』
作:璃歌音



 うちの高校には学生食堂がある。味は……特に旨いわけでもないが、値段は好評だ。俺は毎日この食堂を利用している。親が共働きで、弁当なんか作っていられないと言うからだ。今時、料理くらい出来なくちゃな、などと日頃思いつつも、弁当を自分で作るという結論にはいまだ達していない。
 いつもは大体、クラスの連中を何人か誘って行くのだが、その日はたまたま友人の都合が合わず一人で来ていた。窓際のカウンター席に座り、昨日図書室で借りた文庫本を読みながらカレーを食べる。行儀が悪いとかそんなことは気にしない。
 すると、向こうから女子生徒が一人歩いてきた。ここは学食なんだから、生徒なんてそこらじゅうに居るわけだが、何故か彼女が目にとまった。
 校則がわりとゆるい我が校の生徒にしては珍しい長い黒髪をなびかせて、どこぞのキャリアウーマンかというような足取りで歩いてくる。上履きを履いているのにハイヒールのかつかつという足音が聞こえてきそうだ。顔立ちも、びっくりするほど整っている。強いて言うなら、少し眉の線が濃いくらいか。それはそれでいいとも思う。
 こんな美少女がうちの学校にいたのか、と少し驚いていると、当の本人がこっちに向かって歩いてくるではないか。
 突然のことにうろたえていると、彼女が言った。
「ここ、空いているか?」
 ここっていうのは、俺の隣の席のことだろう。そして、この言葉は俺に向けられたものだろう。なんせ、俺の目を睨みつけながら話しているのだから。そろそろ返事をしないとおかしな奴になりかねないギリギリのタイミングでやっと声を出せた。
「あ……うん」
「ありがとう」
 今日の食堂はわりと空いている。わざわざ俺に尋ねなきゃいけないこの席以外にも、いくらでも座るところもあるんだが……。
「あのさ、なんかこの席にこだわりでもあるの?」
 物凄い目つきで睨まれた直後であることも忘れて、つい訊いてしまった。
「特にない」
 一応、返事は返ってきたが、なんという無愛想なことだろうか。普通ならもうそれ以上関わらず、放っておけば良かったのだろう。いや、もう既に関わりすぎていたか。
 だが、なんとなく美人に悪い印象を与えたままにしたくないという心理が働いたのだろう。
「……あのさ、俺、なんか怒らせるようなことしちゃったかな?」
 すると、その美人は物凄く驚いた顔でこっちを見た。
「そんなことはない! 怒ってなんかない!」
「そう? ……ならいいけど。」
 さっきから気になっていたが、妙に堅苦しいというか、男らしい話し方をしている。まあ、そういうのも個性の一つだろうから、好感を持てなくもないが。
「もし、怒っているように見えるとしたら、それは……この状況に緊張しているからだ」
 緊張? 一体何に緊張するというんだ。この状況というのは、恐らく俺の隣に座っていることなんだろうが。だったらわざわざここに座ることもないだろうに。
 と、彼女の顔がさっきより赤みを帯びているように見えた。
 ……嘘だろ? もしかして……。いや、ありえない。
 一瞬芽生えた期待を、自己嫌悪と共に蹴散らす。
 ……が。
 どうせ偶然隣にあった他人だ。同学年のようだが、クラスも違うのだし、別に後腐れもあるまい。と、一つカマをかけてみることにした。
「んー、緊張するなら、どうしてわざわざここを選んだの? 席なら他にもあるでしょ」
「……っ! こ、ここが良かったんだ」
「なんで?」
 自分でも意地が悪いと思った。何をやっているんだ俺は。
「……おま、あなたと……話したかったから」
 今、一度お前って言いそうになってなかったか? 元々は結構口調が荒いのかも知れない。
 ……じゃなくて。
 これはもう、脈ありまくりなんじゃないだろうか。好きでもない男と話したいとか言わないだろう。……言うのか!? 最近の女子高生は!?
「俺と話したかった……? ど」
「ごちそうさま!」
 トレーを持って走り去ってしまった。ちょっと待て。それは反則だろ。可愛すぎる。
 顔がにやけそうになるのを必死に抑える。これが勘違いなら格好悪すぎるが。
 まあ、誰も見ていないのだから……
 !!
 そんなことはなかった。いつも一緒に食ってるメンバーが少し離れたところからにやにやしながら見ている。どういうことだ。弁当持ってきたから教室で食べるなんて言ってたが、嘘っぱちじゃないか。
 よく見ると、そいつらと同じテーブルに女子のグループも居て、同じくこっちを見ている。一体全体、どういうことなんだ? ……教室に戻ったら問いただしてやることにして、とりあえず、目の前のカレーを片づける。
 文庫本は読まなかった。


   ☆

「なんなんだあれは! ちゃんと答えろ!!」
「しっしっし。なんのことかなー」
「全く、うらやましいぜ」
「だからなんなんだーーー!」
「おい、もう授業始まるぜ? 戻れよ」
 結局、奴らからは何も聞き出せなかった。
 ちくしょう。顔が熱い。まさか赤くなってやしないだろうな。その心配は、二つ隣の席の奴のにやけた顔で裏付けされてしまった。くそ、不覚。


   ☆

 次の日も、いつものメンバーには断られ(といっても、すこし離れたところからにやにやしながら見ているのだが)、一人で学食に行った。
 やはり今日も彼女は来て、睨んでるとしか思えない表情で同席の許可を請う。もちろん、それを断ったりはしないが、向こうから話しかけてこない限り、何も喋らないことにする。また、あいつらにからかわれるのはごめんだ。
 特に話もせず、黙々と食事を終えて、教室に戻ると、友人たちに不満そうな視線を投げられたが、無視した。


   ★

「ったく、せっかくチャンスやってんのに、あの子は……」
「まあ、そう言うなよ。幹野さんはああ見えて恥ずかしがり屋だって言ってたのは亜希だろ?」
「そうだけどさ、それにしてもひどいよ、凛は。せっかく雄太の友達に頼んで状況作ってあげたのに」
「まあ、気長に待とうぜ。……と言いたいところだけど、あいつにはもう教えていいか? 理由も言わずに一人にさせるのはそろそろ厳しいぜ。いい加減、あいつも参っちまうよ」
「でも……」
「その必要はねぇよ」
「芹沢っ!?」
「ったく、屋上なんかでいちゃいちゃと。なんの青春マンガだ。……悪いが話は聞かせてもらった。それならそうと早く言ってくれ。もう少しでお前らにキレるところだった。…………あ、俺はお前が思ってるほどやわじゃねぇからな。そう簡単には参らねぇ」
 言うだけ言って、芹沢は下に続く階段に向かう。
「お、おう……」
「あ、ねえ! 凛を怒らないでね。あの子……」
 つい、呼び止めてしまう。芹沢は振り返って微笑んだ。凛はこの笑顔が気に入ったんだろうか。確かに悪くない。
「心配しなくて良いよ。山村の彼女さん……だよな? こういう回りくどいやり方を俺が嫌うんじゃないかって心配してるみたいだけど、俺はむしろ……可愛いと思うから」
 最後の部分は向こうを向いて言うので、危うく聞き逃すところだった。芹沢も案外シャイなんだろう。


   ★

 山村たちの思惑が分かってからは、毎日の昼食が楽しみになった。なにしろ、自分に好意を抱いている美人(しかも中身もめちゃくちゃ可愛いときた)と一緒に食事できるのだ。これが楽しくないはずがないだろう。
 早速、幹野さんとやらの麗しいお顔を存分に眺めてみる。しばらくの間、気付かないのか無反応なのでつまらないな、と思っていたが、ふと彼女の耳が赤みを帯びていることに気付いた。それで、よく見てみると、どんどん顔が真っ赤になっていくのがわかった。可愛い、可愛すぎる。
「なんなんだ! さっきから人の顔をじろじろと!」
 さすがに耐えかねてこっちを睨む。
「あのさ、なんで毎日俺のところにご飯食べに来るの?」
「そっ、それはっ……」
「別に恋人でもあるまいし」
 失敗した。そう思ったのは、彼女がとてつもなく切なそうな顔をしたからだ。
 やばい、泣かせたか。
「……そう、だよな」
 これはずるい。まあ、確かに恋人でもなんでもない俺に対して責めようもないのはもっともだが、既に彼女に対して恋心を芽生えさせてしまっている俺にはあまりに辛い反応だ。
「すまない、迷惑だったな。帰る。もう来ない」
 彼女はそう言って帰ろうとする。気付くと俺は、彼女の腕を掴んでいた。
「待って!」
 彼女は驚いた顔で俺を見る。
「つまり、その、恋人になっても……いいかな、とか」
 彼女は目をきれいにまん丸にして、みるみる笑顔になっていく。ああ、眩しい。
「本当に!?」
「……実はさ、聞いちゃったんだよね。えっと、荻原さん? から」
「っ! 私はいいと言ったのに、亜希が無理矢理……」
「でもさ、友達想いのいい子じゃん。山村には勿体ない位だよ」
 彼女が怪訝そうな顔をするので、こっちの話、と流す。そういう話題には疎いのだろう。まあ、俺もそうだが。
「あの、それで、恋人になってくれるっていうのは……」
「あー、しっかり覚えてましたか」
「い、いや! 無理はしなくていい!! 私が勝手に想ってただけだから!」
 ここで「想う」なんて表現使うところが堪らない。俺のツボにぴったりはまってくる。
「いやいや、そんなことないから! ……まあ確かに、最初はなんだ? って感じはしたけど、君、何もかもが可愛いから」
 前に、学校の帰りに野良猫をかまっているのを見かけたこともある。その優しい表情にきゅんきゅんしすぎて、しばらくその場から動けなくなるほど可愛かった。
 相手は顔を真っ赤にして何も言えなくなっているので、こちらから繰り出す。
「よろしくお願いします」
「あっ、よ、……しく……がいします」
 どんだけ萎縮してるんだ。俺だって緊張しまくりなのをなんとかおどけて誤魔化していると言うのに。
「あ、私、幹野凛」
「あ、まあ、聞いちゃってるけど。俺は、芹沢佑です」
「たすく……?」
「にんべんにみぎ、でたすく。ゆうって読むほうが多いけど。人を助けられる人間になれってことで」
「格好いい名前だ」
「凛だって」
 普通のやりとりで返したつもりが、図らずもいきなり呼び捨てで呼ぶ結果になってしまい焦った。……が、それには気付かないで普通に嬉しそうにしているのを見て安心する。
「あー、これ訊いても平気かな。幹野さんってさ、話し方がなんかその、格好いいというか、男っぽいというか……」
「ああ、兄弟が男ばっかりだから」
「それだけ?」
「…………父が、自衛隊で」
「へえ!」
「やっぱり、引く……?」
「そんなことないよ。あ、今読んでる本がさ、恋愛物って言うか、マンガみたいなラブコメなんだけど、作者が結構なミリタリーマニアらしくて、自衛隊の話ばっかりなんだよね。あとがきにもあながち嘘じゃないみたいに書いてあったから、それで結構自衛隊にも親近感わいてるかも」
「……やっぱり、いいな」
「え?」
「父のこと言って、全く引きもしないどころか、そんな風に言ってくれたのは初めてだ」
「それはどうも。光栄だね」
 おどけてみせると、彼女が笑う。
 この笑顔のためなら、なんだって出来そうだ。


   ☆

「あ、ところでさ、俺のどこが良かったの? ちょっと気になったんだけど」
「……最初は、去年の春頃で。午後から雨が降り出した日に、傘を盗られたって言ってただろう?」
 確かに、そんなこともあった。他の高校はどうか知らないが、うちではたまに傘を持って行かれることがある。
「それで、たいていの奴は自分も誰かの傘を持って行っちゃうけど、それは絶対嫌だって。そのやり方はおかしいって、言ってるのが聞こえてきて」
 そういうことを改まって話されると恥ずかしいことこの上ない。ただ、自分が傘を盗まれたからって、人にその不幸を押しつけるのは耐えられないという小さな意地を張っただけだ。
「それで……なんて格好いいんだろうって」
「ぐああ! やっぱりやめろ! 恥ずかしくて死ぬ!!」
「……。ふふん、やめない」
「なっ!?」
「一度気になったらどんどん色んな事が目に付いてな。掃除の時、何も言わずに人の分まで箒を出したりしまったり、ドアを通るときは必ず後ろの人を気にかけるしな。極めつけはあれだ。酔っぱらって倒れてたおじさん、みんな無視して通り過ぎていくのに、佑、声かけてただろ。大丈夫ですか、って」
「そ、それは、俺がただ臆病なだけだ。ああいうの見ると変に想像しちゃって、俺のせいでこの人が死んだりしたらどうしようとか、馬鹿みたいな心配ばっかりして」
「……それが好きだ」
「ああもう! この野郎!」

 最初の頃とは形勢逆転、俺がからかわれてばかりのこの頃。
 あの時、馬鹿にした屋上でこんな話をしている。


 まあ、こんな青春も悪くない。





The End.